休憩所日記

ちょっと昔の休憩所日記

うっかり日記

ちょっと昔のうっかり日記

ふじっこの ことえり日記

モモンガなっちゃんの ももんが日記

ちょっと昔の休憩所日記

2021年 2月

■ 2月 10日 (水曜日)

第二水曜日なのでレストランは休み。天気が良くあったかい。八栗寺に月参りで退院の報告とお礼を言いに行った。

今までゆっくりしか歩けなかったので参道を歩けるかな?と思ったが、傷口の痛みも体の調子も良く普通に歩けた。日々体調復帰している。それから手術時に導尿管を入れていてあくる朝に抜いてくれたのだが、抜いてから炎症をおこしていたのかオシッコをすると滲みてうずくまるくらい痛かった。痛いので勢いよく飛ばせない。女の人のように便器に座ってオシッコをしていたが、今朝から痛みがなくなった。 座らなくても立って飛ばせるようになった。普通に戻った。

■ 2月 8日 (月曜日)

ベリー公不在のランチ週も今日で無事おわった。

ブルーベリー挿木用の穂木採りも終わった。挿木サイズに切り分けて冷蔵庫で保存。テルさんが挿木用の用土を作ってポット詰めしてくれるので出来たら早速挿そう。

■ 2月 5日 (金曜日)

定期的な検温と血圧を計るだけで治療は特に無い。シャワーの許可が出たのでシャワーを浴びた。体を慣らしながら病棟の廊下を散歩した。レストランは今日も好調でうっかりウサギとももんがで余裕の出来栄え。

おまけ(今日の病院のごはん)

■ 2月 4日 (木曜日)

明け方に足のマッサージ器が辛いので看護師さんに除けてほしいと頼んだが先生の許可が出ないと除けられない。朝の回診まで我慢してくださいと言われた。鼻には酸素供給管が付けられ導尿管も入れられたまま。いくぶん体の怠さはマシになったが計器や装具類が煩わしくて体の持って行き場が無い。 朝、検温と血圧を計りに来た看護師さんから「今日は朝からご飯があるからね。薬もちゃんと飲んでくださいね。」と言われたが食欲が無い。しばらくして朝ごはんが来たが、味噌汁を飲んでご飯を半分くらい食べただけ。

主治医が回診に来た。傷跡を診て目立った痛みは無いか問診のあと付けられた計器を外してくれた。「導尿管はあとで看護師さんに除けてもらいます。点滴はあと1本ですから昼前には終わります。計器が外れたら普通に起きて歩ける範囲で動いてください」と言われた。やった、これで自由の身だ。 主治医の回診あと手術に立ち会った二人の外科医も入れ替わりに回診しに来てくれた。内視鏡などを入れた三カ所の穴は糸で縫うのではなく医療用の接着剤のようなもので塞いでいるだけだそうだ。導尿管も点滴も外れて起き上がって少し歩いてみた。動作を変える度に傷口が痛む。しばらくすると痛みは消えるが体が思うように動かずもどかしい。 動作もゆっくりで恐る恐る動かす感じ。夕方の主治医の回診の時 退院はいつにするか相談の結果、明日1日様子を診てあさって土曜日の退院にした。ベリー公不在のレストランのランチはうっかりウサギと山下チーフで乗り切ってくれた。

おまけ(今日の病院のごはん)朝のごはんは しんどくて写真撮れなかった

■ 2月 3日 (水曜日)

今日は絶食。朝10時以降は水分も飲んではいけない。手術は昼の1時から。今日の予定は毛剃り、浣腸、トイレ、シャワー、術着に着替えて点滴、手術準備、手術の順番。10時頃に毛剃りに看護師さんが来た。続いて浣腸。数回トイレに行き、もう大丈夫という所でシャワーを浴びた。一応シャンプーもした。12時頃に点滴注射を打たれる。金属では無くプラスチックの針なので動かして大丈夫だそうだ。それと静脈瘤の予防のために膝から下に締め付ける弾性ストッキングを穿かされた。

手術の時間になった。看護師さん二人と師長さんの三人が付き添って点滴を引きながら歩いて手術室へ。エレベーター前でうっかりウサギとテルさんに手術前の顔合わせ。手術室に入ると主治医と違う看護師さんが迎えてくれた。病棟の師長さんと看護師さんはここまで。手術室のサンダルに履き替えベッドに向かう。主治医が背中に手を当てて導いてくれる。「どうですか?前の時(45年前の胃の手術)と比べて手術室のイメージは?」 と聞かれた。あの頃の手術室はあまりよく覚えていないが、床と壁はタイル貼で冷たい陰気な感じだった。今はタイルではなく清潔な白で統一されている。照明がたくさんあってとにかく明るい。昼間の自然光下より明るい。BGMは曲名は知らないがよく聞く軽やかなポップ調の歌が流れていた。

主治医(外科医)と外科医二人の三人体制、ほかに麻酔医、看護師その他で総勢8人くらいいたと思う。手術ベッドに寝ると次々と計器や装具を付けられる。足には膝から下に着圧マッサージ器、酸素濃度計、血圧計、心電図計、導尿管、全身麻酔が効くと呼吸が止まるので人工呼吸器、あとはわからない。

看護師さんの優しい呼びかけで目が覚め、主治医が「お疲れさまでした手術無事終わりましたよ、切らずに内視鏡で両方とも綺麗に治りました」と言ってくれた。全身麻酔が覚めると体がだるい。まだ眠い。まだいろんな計器や装具は付いたまま。ストレッチャーのまま手術室を出るとうっかりウサギとテルさんが迎えてくれた。

手術はすんなりいくと1時間の予定だったが3時間30分かかったそうだ。45年前の胃の手術での癒着があり腹腔鏡や手術機器が入り難くかなり手間取ったようだ。でも外から切開することはなく内視鏡手術でしてくれた。もし内視鏡手術がどうしても無理な場合は外からの切開手術になる。 手術方法変更の場合は同意が必要で本人は全身麻酔で意識が無いので家族の同意が必要。そのためうっかりウサギは待合室で(手術前から約5時間)待機してくれた。うっかりウサギの付き添いでテルさんも来てくれた。

この日はずっと体が怠くまだいろんな計器や装具を付けられたままだったのでしんどかった。熟睡できずウトウトしただけだった。看護師さんが15~30分刻みで体温や血圧を計りに来て様子を診に来てくれた。点滴のみでご飯は無し。

■ 2月 2日 (火曜日)

さて今日は入院日。朝の10時、うっかりウサギに送ってもらった。テルさんも同行してくれた。入院するためにはコロナ検査を受けなければならない。陽性ならば入院できない。まず肺のCTを撮り両鼻の粘膜を採ってPCR検査。結果は陰性。無事入院できる。コロナ感染予防のため病棟には付添人は行けない。うっかりウサギとテルさんと別れて 病室までは看護師さんが案内してくれた。病室もベッドも綺麗。トイレも清潔だ。パジャマに着替えて持って来た荷物を備付けのキャビネットに整理する。4人部屋、でも一人当たりのベッド空間は広い。ベッドとベッドの間にテレビ台を兼ねた収納キャビネットが背中合わせに置かれ、ひとりひとりのベッド空間はカーテンで仕切られている。ベッドに横になり持って来た本を読んでいると担当看護師さんが治療計画書を持って来て説明してくれた。

今日は就寝前に下剤を飲んで寝るだけ。あとは何もない。定期的に看護師さんが検温と血圧を測りに来て「お変わりないですか?」と声をかけてくれるだけ。夕方、外科の主治医が様子を診に来て「明日一緒に頑張りましょう」と言ってくれた。

夜 10時前に看護師さんが下剤を持って来た。消灯は 10時。まだ眠くならないので読書灯を点けて本を読む。11時頃、電気を消して寝る態勢に。

明日の手術に対しては不安はなく先生を信用してお任せするだけ。今年になって占い師の話から今までの一連の不思議な体験を書いたが、今一度振り返ってみると不思議な事だらけ。運が良いのか悪いのかよくわからない。でも幼少の頃から『何かに見守られている』『見えない力に助けられている』という感覚が随所にあった。 それは事が起きる前に暗示があって 事なきを得る時もあれば、人が見て「不幸な人」とか「運の悪い人」と言われるような重大な事が起きてから良い道に引っ張ってくれたりとその時により一定しない。僕の一連の珍事を知るサラリーマン現役時代の同僚からは「不死身」とか「お前は殺されても死なない」などと言われた。よくよく考えてみれば敢えてそういう不幸な目に合わせて人の苦労や痛みを解らせてくれたようにも思える。じゃなぜ僕にそんな体験をさせているのだろうか?僕は地球、人類、自然界など何かに必要とされているのだろうか?何かを成し遂げなければならないのか? しかし、そんな大それた事を成し遂げる力は僕にはない。 弘法大師、空海が7歳の時「仏道に入りこの世を救いたい、仏道に私が必要かどうか試したい」と現在 出釈迦寺のある我拝師山の捨身ケ嶽の崖上から飛び降りた。伝説では釈迦如来の使者天女が舞い降りて空海を助けたと伝えられている。僕は空海のように自分から身を投げる勇気も世を救う力も無い。

サラリーマン現役時代と違って今は「お金のために仕事をする」「生活するために仕事をする」「贅沢したい」という考えは皆無。必要以上のお金は要らない。今やっている事を突き詰めて本当に良い物を作り、それを作るために妥協はしない、そのための苦労と時間は惜しまない という信念でやっている。そしてお客様に感動と希望を与えたい。一緒に仕事をしている休憩所の仲間たち(これから仲間たちになる人も含め)を大事にして喜びと夢を与え本当の意味での幸せを知ってほしい、と思っている。

おまけ(今日の病院のごはん)今日は節分だった。

■ 2月 1日 (月曜日)

今日は普通営業。明日は火曜日で定休日。3日 水曜日は臨時休業。

明日入院なので銭湯にゆっくり入って早く寝た。部屋に帰って入院の準備。何日間の入院かわからないので一応一週間分の着替えなどを詰めた。ここ17年間はテレビの無い生活をしてきたので入院中も見ない予定。本をいっぱい持って行こう。

痔で死にかけた話のついでに この際全てを暴露すると、死を免れたことが他に 2回ある。

1回は 19歳の時、会社の休みの日に仕事関係の展示会があり数名集まって見に行った時の事。行きは同僚のH氏の車に乗せてもらった。展示会を見て帰りもH氏に送ってもらう予定で車の助手席ドアを開け乗り込もうと右足をステップに乗せた時、同僚Y氏から「僕が送って行くわ、家近くやし通り道やけん」と声が掛かった。僕は「ええわ、もう乗りよるし。今度送ってもらうわ。」 と答えたが、Y氏は「話しがあるんや、Hさんは方向が違うからだいぶん回らないかんやろ。」と言って引き下がらなかった。「話があるなら仕方ないな」僕はH氏にお礼を言ってY氏の車に乗った。帰りの車の中、特にこれと言った話もなく他愛の無い会話だけだった。 あくる日、出勤するとH氏が寄って来て「お前、昨日 俺の車に乗らんで良かったわ、あのまま乗って帰ったらお前 死んどったぞ」詳しく話を聞くとあの帰り道、会場を出てすぐの交差点で対向車が接触してきてハンドルをとられ、信号保安器の鉄の塊に助手席側が激突した。H氏はかすり傷で済んだが車は助手席側が大破し廃車。現場検証に来た警察官に「助手席に人が乗ってなくて良かったですね、乗っていたら即死でしたね」と言われたそうだ。

2回目は 25歳の頃、愛媛県新居浜市に勤務していた。四国中央市からの帰り道、時刻は深夜 2時頃。国道11号線新居浜市と四国中央市の境の小高い峠道。登り坂で右手が山で土留壁、左手が谷でガードレールがある道路。前に大型のトレーラーが走っていた。登り坂なので大型トレーラーは遅いだろう、 片側 1車線の対向道路だが追い越そうと反対車線に出た。 当時の僕の車はトヨタ・マークⅡ 4ドアハードトップで加速は良かったのですぐに追い越せると思ったが、追い越しにかかるとトレーラーもスピードを上げた。僕はアクセルを踏み込みトレーラーよりスピードを上げようとした。その時、峠の上から対向車のライトが見えた。よく見ると対向車も大型のトレーラーだ。「これはヤバイ!!」 このまま追い越してトレーラーの前に出るには対向車との距離が足りない。追い越しを止めて減速しトレーラーの後ろに戻るにも、僕の車はスピードが出過ぎているので これも距離が足りない。 対向車はブレーキを掛けることもなく突っ込んで来る。「さあーどうする!!」 正面衝突だけは避けたい。イチかバチか勝負に出た。追い越そうとしているトレーラーに思いっ切り左に寄り幅寄せした。接触したらフっ飛ばされて一貫の終わり。でもブレーキを掛けて止まろうとすると対向車に激突してしまう。 トレーラーと対向トレーラーの間に入りすり抜けるしかない。幅寄せするとトレーラーは察知してガードレール側に寄ってくれた。その分だけまた左に寄り幅寄せする。対向トレーラーはスピードを緩めないままだが山側に寄ってくれたようだ。 文章で書くと長いが時間にすると対向車のライトが見えてから数秒の出来事。トレーラーとトレーラーの間に挟まれた時は生きた心地がしなかった。どちらもスレスレ。ハンドルが少しでも振れると命は無い。対向トレーラーが過ぎ去って、やっとブレーキに足を掛けた。減速して追い越そうとしていたトレーラーの後ろに着いた。何事もなかったように走り去っていく二台の大型トレーラー。魂が抜けたような放心状態。あくる日、現場に行った。国道といえども広い道路ではない。どう見てもトレーラー 2台とマークⅡが通れる幅は無いように思えた。

2021年 1月

■ 1月 26日 (火曜日)

CT検査の日。急患の検査が入らないように先生が朝一番の予約を入れてくれたので 今日は無事に検査を受けられた。でもやはり緊急の検査が飛び入りで入ったようで急患の方が外で待機していた。

診察室でCT写真を見ながら先生と話。現在飛びだしているのは右側だけだが左側にも小さな穴が開いて兆候があるので、この際一緒に治そうという話になった。毎週水曜日が定例手術日なので来週の2月3日に手術、入院は一日前の2月2日に決まった。話が終わってから術前検査を受けた。血液検査、胸部レントゲン、腹部レントゲン、心電図、検尿など。検査結果は問題なかったので手術を受けられる。入院期間は3~5日間くらい。今は『まな板の上の鯉』の気分。

過去の手術話の続き。2回目の経験は 31歳の時、痔の手術を受けた。受けた病院はその道の名医、高松市の矢野肛門病院。(現在は矢野肛門クリニック)経過も順調であと2~3日で退院という時だった。夕食を済ませて食器を戻しに行った時、お尻にヌルヌル感が。部屋に帰ってT字帯を外して見てみると出血していた。時間は5時40分を過ぎている。診察時間は5時までで、いつも先生は5時過ぎには帰ってしまってもう居ないはず。

お尻を押さえるような格好で階段を降りて診察室に向かうとまだ電気が点いていた。よかったー。今日は残業でまだ先生が居る。診察室に入り「ちょっと出血したのですけど」と言うと、診察台を指さし「ここに横になって」と診てくれた。「これはちょっとの出血でない。すぐ手術室に入って」看護婦さんが二人呼ばれて緊急止血手術。

先生は 15分くらいあれこれやっていたが「いかん、これはうちでは出来ん」そしてガーゼ等を入るだけ僕のお尻の穴に突っ込んだ。お尻がガーゼでパンパン。たぶん血をガーゼに吸収させて外に漏れないようにしたのだろう。先生は「電話してくる」と言って手術室出た。看護婦さんの話によると知り合いの先生に連絡をとっているらしい。でも不在で連絡がとれず相手からの連絡待ちだそうだ。看護婦さんの白衣には返り血を浴びたような血しぶきが 2列付いていた。 床を見ると真っ赤な血の海のようになっている。『これ全部、僕の血?』30分くらい経ってやっと連絡がとれたのか先生が戻って来て「ここまま五番丁病院へ行こう、救急車を呼んだから」と言った。直ぐに救急車が来て五番丁病院へ。救急車に乗ったのは初めて。乗り心地はあまり良くなかった。

五番丁病院で無事に手術は終わった。翌朝、五番丁病院の先生から検査結果を聞いた。1600cc以上 出血していたらしい。1600ccといえば ほぼ1升瓶1本。人の全血液量は体重の 1/13、当時の僕の体重は 52kgくらいなので、全血液量は 4000cc。先生は話を続けた。普通全血液量の 1/3以上出血すると出血多量で多くの場合 命を落とすそうだ。落とさなかったとしても意識不明で生死を彷徨う危険な状態になるそうだ。 僕はというと、顔は少し蒼く多少貧血気味に見えるが意識ははっきりしているし、昨日手術が終わった後、ストレッチャーから自分で起き上がり病室のベッドに移動したので先生がびっくりしていた。なぜ痔の手術後に大量出血したかというと、肛門付近に動脈が 3本あるらしい。痔を取り除く位置によって動脈を一緒に切らなければならない時があり、今回もその場合で切って止血処理の2ヵ所縛りをきちんとしていたが、何かの原因で外れた?らしい。動脈は切っても毛細血管に流れて、やがて毛細血管が動脈に進化するので問題ない。

本来は鮮血の輸血をするのだが、僕が元気なので一番リスクの少ない成分輸血、赤血球のみの輸血を 1日200ccづつ 6日間行うことになった。あとは自分の力で造血できるらしい。とにかく一命を取り止めた。出血したとき痛くもなく自覚症状がなかったので、もし出血した時間が夜、寝ている時だったら。診察室に降りて行った時 先生が帰った後で居なかったら。と考えると今でも ぞっとする。

■ 1月 19日 (火曜日)

さぬき市の総合病院へ行ってきた。建て替えしたのが つい数年前のような気がしていたが、2012年11月グランドオープンだから 8年ちょっと経っていた。でもまだ綺麗だ。受付を済ませて外科診察室へ。紹介状予約なので待ち時間無し。診察と触診、問診。CTも撮る予定だったが急患が入って緊急検査でCT室を使っているので、 今日は撮れなくなった。CTは次の休みの26日に受けることに。手術など細かいことはCTを見て決めるようだ。入院日、手術日、入院期間がまだわからないので うっかりウサギがやきもきしている。店は休むわけにはいかないが日が決まらなくては手が打てない。

まあ でも26日の検査の結果次第。

手術の経験は2回ある。1回目は高校2年の夏休み、部屋の本棚を作っていて釘を打つ時、大工さんが釘を数本 口に咥えて順番に打っていく姿に憧れて、得意そうに真似てやっていた。自分の身長より少し高い位置の釘を上向き姿勢で打っていた時、咥えていた釘の1本を飲み込んでしまった。のどや食道に引っかかることなく するりと入ってしまった。

釘の長さは 4cmくらいあったが何の違和感もない。そのまま本棚を作って その日は普通に過ごした。次の日の朝、体は別にどうもなかったが 気になって母親に話した。慌てた母親は僕を連れて近くの個人病院へ行った。レントゲンを撮って診察した先生が「直ぐに総合病院に行きなさい。」と日本赤十字病院を紹介してくれた。

日赤でもレントゲンを撮って「これは直ぐに手術をしなければならない。今日そのまま入院してください。明日手術します。」と言われた。気が動転した母親は「直ぐに入院とか手術と言われても、主人に相談しないと」などと言っていたが、先生に「お母さん、そんなことを言っている場合ではないです。入院の手続きをして着替えなど必要な物を取りに帰ってください。」と言われていた。

どうも胃の中で釘のある場所が悪いようで自然に出ない位置にあって直ぐに取り除かないといけないらしい。そんなわけで胃を切開して釘を取ってもらった。もちろん全身麻酔、術後は鼻から管を通されたので苦しかった。今なら言えるが、手術したのは担当の先生ではなく研修医か何か新米の先生でかなり下手な切り方だ。皮膚の縫い付けもガタガタで 糸も無茶苦茶な位置で切開跡が大きく残っている。退院まで3週間くらいかかった。2学期の始業に間に合わず 10日間くらい学校を休んだ。

なぜか占い師の話から過去の暴露話になってしまった。1月の日記という主旨から外れてしまうが いい機会なのでこの際 順番に書いてみたい。脱サラしてこの世界に入った今、以前の事は前世のことのように思える。

■ 1月 13日 (水曜日)

病院に行った。20年近く健康診断や○○検診以外、病気などで病院に行ったことが無かったが内科を受診した。やはり鼠径ヘルニアだった。放っておいても治らない、手術しか方法が無いらしい。行った病院では手術できないので紹介状を書いてくれて予約を取ってくれた。

来週大きな病院に行く予定。

■ 1月 12日 (火曜日)

先月くらいから鼠蹊部に膨らみが出来始め、手で押すと戻るのだが直ぐにまた膨らんでくる。特に痛みはなかったが「何だろう?」と様子を診ながら日が経った。 だんだんと膨らみが大きくなっている。ネットで調べると鼠径ヘルニアというものらしい。鼠蹊部の筋膜に穴が空き小腸が皮膚下に飛び出す症状。老化らしい。サッカーや陸上をしているとなりやすいようだ。

クリスマス、正月も終わり落ち着いてきたので明日病院に行ってみようと思う。

■ 1月 1日 (金曜日)

このうっかりウサギは常連のお客様『mokä』さんが、お店の13周年に作ってくれたもの。器用な方で他にもリンゴや柿なども作ってくれている。

13年前の12月16日が開店日。早いといえば早い、長かったといえば長かった。 でもこの物語の始まりは40年前に遡る。

サラリーマン現職時代の40年前、ベリー公は20~21歳頃。仕事を終えて夜の街に繰り出す日々。その日も居酒屋で腹ごしらえをしてアーケード街を歩いて2件目に行く途中だった。意図せず気が付くと占い師のおばあさんの前に座っていた。占ってもらおうと思ったわけでもなく、興味があったわけでもない。 意に反して引き寄せられるように座っていた という感じ。一緒に歩いていた連れの同僚二人は僕が消えたのに気付かず だいぶん向こうまで行っていた。

その占い師は手相、人相、生年月日、そして僕に纏わる気相、霊相を霊感で占うという いかにも胡散臭い悪徳占い的な感じ。生年月日と漢字での名前を書かされ手相を見てから 目を瞑り手を合わせて何やら呪文のようなものを唱えている。そして目を開けおもむろに「あんた若い時は破茶滅茶やな」と言った。「それから親兄弟、家族の縁が薄い人やな。一人になるで。。」

「でも晩年は幸せになるわ」と続けた。僕は『このおばはん、好きなこと言いやがって』と思いながら、さっきの言葉の中の気になることを聞いてみた。(結婚はするのですか?)「するよ、子供もできる」 『なら なんで一人になるんだろう?』(一人になるって・・家族は事故か何かで亡くなって僕だけが生き残るということ?) 「そこまではわからんけどバラバラになって一人になる ということや」

『?? わけわからんな』(家族バラバラになって一人になるのに晩年は幸せになるってどういうこと?)と聞き返すと 「そのときに知り合った仲間たちに囲まれて幸せな人生を送るで」(晩年って何歳から?)「50歳すぎやな」と言われた。そして「他に聞きたいことは?」(いえ、特にもう・・)で終わったように思う。「もっと詳しくみましょうか?」とか「お祓いをした方が良いから・・・」とかの悪徳商法的な言葉は何もなく、2千5百円払っただけだった。

それからは、そんなの当たらないだろう、いい加減な話は真に受けず忘れてしまっていた。ところが、紆余曲折の末、会社を辞めて うっかりウサギに出会い一緒にブルーベリー農園と店の開店準備中、親父と兄貴が続いて他界した。長男が家を出た。そんな時、ふと あの占い師のことを思い出した。

その時(2005年)僕は46歳だった。長い間 忘れてしまっていたので当時のことをゆっくりと思い返してみた。だんだんと記憶が鮮明に戻り、会話を一言一句思い出した。・・・その通りになっている。。あの占い師・・・本物だった。当時 70歳くらいの人だったと記憶している。鳥肌が立ち背筋が寒くなった。そして、2007年12月 店を開店し 2009年に次男が家を出た。息子二人とも喧嘩をしたわけでも縁を切ったわけでもないが、家を出てからほぼ音信不通。2011年には母親が他界。

息子も居なくなり、僕も家には数時間寝に帰るだけ、そんな家にまだローンを払っている。馬鹿らしくなって2013年に自宅を売却し精算した。何も無くなり肉親も居なくなり一人になった。でも周りには気の合った人たちが居る。楽しい幸せな毎日を送っている。今は正にあの占い師の言う通りの人生をまっしぐら。

レストランカフェ

TEL:087-894-8701

カフェ  9:30~11:30

ランチ 11:30~14:30

カフェ 14:30~16:00(LO)

レストラン 今週のメニュー

TEL:087-894-8701

ランチ 11:30~14:30

数に限りがありますので

予約が確実です

会社案内

〒769-2101

香川県さぬき市志度4994-2

TEL:087-894-8701

FAX:087-894-8702

 

農園(育苗ハウス)

〒769-2312

香川県さぬき市造田是弘1479-2

TEL:090-7626-7552

農園長(畑ヶ中:ハタケナカ)

農園(育苗ハウス)

ブルーベリーなどを栽培しています。栽培資材、苗なども直売しています。植替や不調苗の入院治療も有料で承りますのでご希望の方は苗をご持参ください。また剪定・植付・出張指導など(有料)も承ります。不在繁忙時もありますので事前に(ハタケナカ)まで 電話連絡ください。

ベリー公(自然の休憩所 主宰)は農園には常在しておりませんのでベリー公にご相談、ご質問などございましたら事前にアポイントをとってください。

レストラン マップ

農園 マップ

TOP